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将門塚8月15日2009.09.27 Sunday
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『将門記』によると、「将門は生まれつき世の中から見捨てられた人の味方だった。頼まれたらいやと言えない性格であった」という。これでは人気は出るが、政治的にうまくいく性格の方は持ち合わせてはいなかったようです。鎌倉幕府では『将門記』を絵物語に仕立てて将軍によんで聞かせたという。将門を祀(まつ)る神田明神は、江戸の町を守る神として、幕府も大切にしました。勝者藤原秀郷の縁(ゆかり)の地は少ないですが、日本人のヒーロー将門の伝説は各地に残っています。そして今も千代田区大手町にある首塚には新しい花が絶えることはありません。
将門塚保存会と神田明神ののぼりがはためいていました。
将門塚の由来が神田明神より掲示されています。
将門塚の前はいつも掃き清められています。
将門塚板石塔婆にはお供え物が絶えませんが、今日はほおずきがアーチを作り一段と綺麗に飾り付けられていました。
[撮影日は8月15日]
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将門塚2009.07.04 Saturday
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東京都千代田区大手町1丁目にある平将門の首塚です。近くに来ると必ず出向く、それだけひきつけられる場所です。大手町へ来たら一度は足を運んでください。
金に黒の表札がこの場所の大事にされ方を感じさせます。
入り口の右側に立っている都旧跡将門塚の石柱。
入り口からみえる正面奥の故蹟保存碑。昭和十五年に再建されたもので、当時の大蔵大臣の河田烈の書になるものです。
正面奥の右側に有名な将門塚板石塔婆があります。『平将門 蓮阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 徳治二年』と読むのだそうです。「不思議なことは、偶然とはいえ、確かに起きました。そのため、丸の内方向へ行くときや、将門塚の近くへ来る場合は必ずお参りをします。」そう感じる人は多いようです。花や供え物が絶えません。
[撮影日は4月29日] 4枚の写真はどれも真ん中に将門塚の大事な文字を写しました。
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